
※2023.09.03の音声配信要約記事です。
皆さん、こんにちは。ドイツからSunnyです。
夏休みのため、5週間配信をお休みしておりましたが、9月3日最初の日曜日になりました。
夏休み明け最初の配信内容は、何にしようかなーなんてゆるく考えていたんですけど、記憶が薄くならないうちにと思って、最近みた映画「Barbie」について印象に残ったことを一つだけお話ししようかな、なんて思います。もしまだ見ていない方は、ネタバレするかもしれないので、この辺でスルーしてくださいね。
そもそも、私はりかちゃん人形では遊んだけれど、バービー人形で遊んだ記憶がありませんでした。けれど、この映画の興行成績がハイスピードで好調だというのを知って、何がどう面白いのか好奇心が湧きました。
英語のオリジナルで鑑賞したい場合も大丈夫。
ドイツで映画館で映画を観る場合、残念ながら全部ドイツ語吹替されています。ドイツ語でも分からなくはないのですが、ドイツ語と英語のリズム感とかノリも違うし、それ以上に俳優さん女優さんたちのリアルな演技に、フィルターがかかってしまうので、今回はオリジナルの英語でみられる映画館を探して行ってきました。オリジナル映画は、チケットにOVと記載されてありますので、チケット購入時の参考にしてみてください。
ミュンヘンにはいくつかオリジナル映画を鑑賞できる映画館があります(参考URL)。やはりドイツ語吹き替えよりオリジナル英語の方が断然楽しめます。私たちが訪れた映画館は、王道「Cinema Filmtheater München」です。大きい道路には路駐ができるスペースがたくさんあり、駐車料金はかかりますが市内よりは安いです。私たちが訪れた土曜日の夕方は、事前に座席指定した映画館の中は、ほとんど観客がおらず(多分30-50名くらい?)、リラックスして鑑賞することができました。音声設備も抜群に良かったです。
Barbie映画、最初の印象
好奇心から映画館に訪れた私ですが、初っ端から結構衝撃的なシーンがありました。教育上、まだ小さい子供とは一緒に見れないなと個人的には思ったんですけど、話が進んでいくうちに、バービーたちは可愛いし、バービーランドはポップなおもちゃの世界そのままだし、表面的のみで見るならコミカルで面白かったです。
ですが、これってフェミニズム?それともアンチフェミニズム?と、途中からこの映画の中にある深いテーマに気がつき、混乱しました。
というのも、バービーランドは、すべての職業は女性が担っているし、毎日ガールズパーティが行われていて、フェミニズムとウーマンエンパワーメントが強烈に印象に残ります。(大統領や医者、道路工事も、全て女性です)
そんなある日。ケンがバービーの気を引こうと海に飛び込んで怪我をし、救急車に運ばれた後、バービーはふと「死」について考え始めます。それを機にそれまでバービーのアイコンだったピンヒールシューズを脱いでも、かかとは上がったままだったのに(冒頭画像)、突然自分のかかとが地面についてしまったことから、バービーランドのみんなに気持ち悪がられます。自分は完璧と思い込んでいたバービーは、いつもの自分じゃなくなって落ち込み、町外れに住む人間から酷い扱いを受けた別のバービーの家へ行きます。そこでリアルワールド(人間界)に行く必要があると言われ、バービーは人間界へ行くことになったわけです。バービーのことが大好きなケンは、こっそりバービーの乗る車に隠れて、一緒に人間界へ行きました。
Barbie&Kenとしてセットで販売された、(本人いわく)バービーのアクセサリーのように存在するケン(ライアン・ゴズリング)が、バービーと一緒に人間界に行って、男性からも尊重され、女性には「今何時かわかりますか?」と時間を聞かれて、人として尊重されたことに衝撃を覚えるんですね。それで、バービーランドで感じていた違和感を解消するのは、ペイトリアキー(patriarchy:家父長制)が必要だと感じて、それをバービーランドに浸透させます。
ケンの気持ちに共感した部分があった
そんな中、私が印章に残ったのは、一応バービーのボーイフレンドとしてセットで販売された、ライアン・ゴズリング扮する、バービー「アンド」ケンのケンは、人間界へ行く前にアイデンティティを喪失していたことなんですね。
これって自分の経験に置き換えて考えてみるとよくわかるんですけど、例えば、ドイツ人と結婚してドイツ語がわからないままドイツに移住した日本人の女性である私は、このケンの気持ちがわかるわけですよ。
笑っちゃうかもしれないんですけど、ドイツ人の妻になった「私」は、ドイツ人の「夫」とセットになり、その「夫」がのびのびと暮らせるドイチェランド(ドイツ語でドイツはDeutschland) に行って、その「夫」が住み慣れた国のルールに従い、「妻」として「母」として世間一般的な「良き妻」「良き母」になれるように、日々努力する。
市役所へ行っても、スーパーへ行っても、最低限の挨拶はされても、「今何時かわかりますか?」と話しかけられたこともなく、言葉の壁もあって、世間話ができなかった時期もありました。私は「私」という個人ではなく、「ドイツ人の妻」という、その背景にある重いアイデンティティに押しつぶされていました。結婚する前に分かれよ、というツッコミは不要ですよ。
もうかれこれ20年くらい前の話ですけどね、当時の私は強烈なアイデンティティ・クライシスに陥っていたことを、このケンの描写から過去の自分が重なって、びっくりすることに、涙腺が緩みましたね。これを私は、国際結婚時と国際離婚時に感じました。
それで、私はその後諸々あって離婚を選択することになりますが、一度は嫌になったドイチェランドに、再移住して10年以上住み、あの時のアイデンティティ・クライシスは「自分とは何か」「自分の幸せとは何か」と言うことに気づかせてもらえるきっかけだったな、と思います。
余談ですが、このアイデンティティ・クライシス、逆に、国際結婚をして日本で生活する外国人の方にも当てはまるかもしれません。
グロリアの気持ちにも共感した部分があった
バービーの映画の中に出てくる、バービーとの思い出を持っていた女性(グロリア)が、羅列する言葉に共感した部分もありました。
完璧に美しい象徴となるバービーが自分は完璧ではないと嘆くシーンで、世間一般の「女性」に対する期待そのものへのグロリアの鬱憤が爆発します。
女性は痩せていなければならないけど、痩せすぎてもダメ。お金が必要なのに、お金を求めるのは下品だからできない。上司になっても、意地悪はダメ。リーダーに立っても、他の人のアイデアを押しつぶせない。母親であることは楽しいはずなのに、子供のことばかり話してはいけない。キャリアウーマンであると同時に、常に他の人に気を配る必要がある。
男性の悪事に答えるのは非常識だけど、それを指摘するとクレーマーだと非難される。女性は男性にとって美しくあるべきだけど、男性を誘惑しすぎたり、他の女性を脅かすほど美しくなってはいけない。
決して年を取ってはいけない。決して失礼になってはいけない。決して見栄を張ってはいけない。決して利己的になってはいけない。決していてはいけない。失敗してはいけない。恐れを見せてはいけないし、常識から外れてはいけない。
難しすぎる!矛盾しすぎて誰もメダルもくれないし、ありがとうも言えない!そして実際には、私がすべて間違ったことをしているだけでなく、すべてが私のせいになる!
私は自分自身や他の女性全員が、人々に好かれるために自分自身を苦しめるのを見ることに、とてもうんざりしている。そして、そのすべてが女性を表す人形に当てはまるかどうかは、わからない。
出典:Los Angels Times
これを聞いた時に、うんうん、わかる。そういう部分ってあるよね。世間一般的な洗脳じみた思い込みが、女性たちを苦しめるんですよね、と共感しました。
この世間的な思い込みって、わかりやすいテーマでこの映画では「女性」に対してのものだったけど、
私が今まで感じてきたのは、
- 日本人だから寿司を握れる
- シングルマザーだから、極貧&惨め
- ひとり親だから、子供が可哀想
- 外国人だから、ドイツで悪さをする
- アジア人女性だから、ナメられる
- 移民だから(私のこと)、ぼったくれる etc...
・・・山ほどあります。
相手の方は口に出さなくても、まぁ言葉の端々に感じますよね。
で、大抵はお相手の方は自分のことを棚上げして、世間一般的な思い込みをステレオタイプ的に口走って、相手を傷つけるわけですよ。
それなのに、あたかも傷つく自分が悪いとなった日には、怒り心頭になりますよね。
えぇ、本当にうんざりです。
でも、この映画を見終わった後に、娘とこの映画についてあれこれ議論をして、彼女ははっとする一言を言いました。
「でもさ。男性にもこういうプレッシャー、あるよね。」
(達観してるな・・)
結局私が最後に受け止めたこと
終盤の方で、フェミニズムとペイトリアキーの対立からフェミニズムが勝つんですけど、同者がしていることは結局は同じことじゃん、と思って見ながらモヤモヤしました。
一方で、最後にバービーのアクセサリーとして存在していたケンは、「ケンはケンで良い」、そして完璧に完全な存在だったバービーは、人間界の不完全さを経験して、「完全でなくても良い」というシーンがあったかと思うのですが、私は私で良い、良き妻、良き母でなければいけない、と言う、自分の中の呪縛も解放して良い、と思った過去の自分と重なりました。
そう。自分に不足しているものに目を向ければ、不足感しか味わえなくて、どん底に落ちるんですよね。
本当はすでに自分の中に存在意義が十分あることに気がつけないんですよね。
ちなみに、この映画の中のフェミニズムとペイトリアキーの対立も、ひいてはアンチフェミニズムに対しても、個人的には反対も賛成もありません。
なぜなら、自分の幸せが何かって自分にしか分からないし、例えば社会的にこれはおかしいと思う、と声をあげることは、それを考えたこともない人にとっては何かを考えるきっかけになるので、良いことだとは思いますが、他人に強制することではないとも思っています。
それから、自分の幸せが何か、自分の価値観が何かについてもっとよく知り、その幸せだと思っていたことが社会的な概念(世間一般的に浸透している価値観)からきていないかとか、悪く言えば社会的や周りからの洗脳じみた押し付けではないかとかを、客観的に観察することは必要だなとも、改めて感じました。
終わりに
ということで、ポップでガーリーな世界の話かと思いきや、想像を遥かに超えた深いテーマが根底にある、笑いあり涙ありの良い映画でした。それから、バービー映画の細部に渡るパロディやメッセージなどの細かい描写はネット上で見つかるので、ご興味ある方は是非調べてみてくださいね。別の視点で楽しめるかと思います。
最後に。今でもバレンタインにみたくなる2005年の「きみに読む物語(The Notebook)」の若き日のライアン・ゴズリングが、「Barbie」の中でマッチョになっていて、きみ読む以降、彼が出演していた映画はほとんど見ていなかったので、新鮮でした。
ということで、今回は、あくまでも私の個人的な感想をお話しました。
どなたかのご参考に?なれば幸いです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
それでは、また。tüssch
最近のコメント