この時期の毎年の恒例でもある「クリスマスカードを書く」。
一年に一度、我が家では日本の家族や親せき、娘の友人たちにクリスマスカードを書いて出しています。
これには理由が3つあります。
【理由1】
15歳になる娘に、日本語で文字を書くことを「イベントとして」覚えておいてもらいたい。
【理由2】
シングルマザーで小さい娘(当時7歳)と2人でドイツへ移住した時に、日本の家族や親せきを大いに心配させたので、「私たち2人は元気に楽しくやっていますよ」ということをお知らせしたい。
【理由3】
保育園や小学校で楽しく過ごした仲良しの友だちたちは今は高校生。もう日常で娘のことは忘れていると思うけど、遠いドイツという国に友だちがいるんだよ、ということを安心して思い出してもらいたい。
(将来、日本以外の国に住むという選択肢もあるんだよ、ということをどこかで何かのきっかけに、思い出すかもしれないという希望もある)
そんなことを思いながら、今年も日本語を書くことに若干悪戦苦闘するわけです・・。
それもそのはず。
我が家はすでに日本語の読み書きは、ある理由からやめました。
我が家が日本語教育をやめた理由。
我が家の場合、「ドイツの大学を卒業する」という、娘の中で「超」がつくほどの明確な希望があります。
そのため、シュタイナー学校から今のギムナジウム学校へ転校した際に、ぬるま湯環境(失礼)につかっていた娘にとって、ギムナジウムでのドイツ語も算数も英語も、どれもこれも同じ学年の子より遅れていました。
※「ギムナジウム学校」・・・5年生~12年生の大学進学を目指す進学コース。詳しくは過去記事「ドイツの小学生は4年生まで-公立&私立の進路選択-」を参考にしてください。
正確に言うと、同じ学年の子たちがすでに勉強している内容を、シュタイナー学校ではまだ教えてもらえていなかったので、知識自体がなかった、と言った方が正しいかも。
そして私は、娘が転校した際「日本語教育」自体に力を入れるのをやめました。
なぜなら、当時も(今もですが)娘にとって「ドイツの大学を卒業する」ということが、最大の夢だったからです。
そのためには、「ドイツ語力」が大学入学レベルに達していなければいけません。
綴りや文法の間違いは、極力少ないか、もしくはない方がいいのです。
また、読解力も必要になりますよね。
元々ドイツ移住時にドイツ語力ゼロの7歳の娘が、5年間もゆるーく教育が流れていくシュタイナー学校で学び、5年後ドイツ語を話すことも聞くことも問題はなかったものの、書くこと含め思考力・応用力など、アカデミックな教育レベルには達していなかったのです。
その上、我が家は日本人のシングルママ家庭。
ドイツのパパや祖父母に会う機会はあるものの、今は遠方に住んでいるので頻繁に会うわけでもありません。
ドイツ語力や他の学力のレベルを「低→中→高」レベルに段階的に伸ばしていくためには、学校の授業や宿題だけでは伸びません。
特にバイエルン州のギムナジウムレベルは、ドイツでも一番高いと言われているので、私はそもそも娘がギムナジウムについていけるのか心配していました。(幸い今はその心配もなくなるほど、本人が猛烈にがんばりました)
周りの学力を伸ばしていっているお子さんのご家庭を見ていると、本人の元々の素質もあるかと思いますが、それ以上に、親が日常的にきちんと「学び」になることを一緒に工夫しながら行っています。
例えば、化学が好きなお子さんなら、家庭でできる実験を調べて一緒に実験をしてみる、とか。
または、ドイツ語の授業で取り扱った本の内容のミュージアムへ一緒に行ってみる、とか。
で、一緒に経験するだけではなく、その体験や経験についてあれこれと親子で話をするわけです。
どう思うか、どう感じたか、どう考えるか、どうだからこうなった、とか。
でも、我が家には私の「ドイツ語への言葉の壁」がある。
しかも在宅ワーカーと言えど、みっちりフルタイムで働いているため、あまり娘と一緒に「学びになること」をしてあげられない。
そんなもどかしい思いの中、それまで続けていた海外版の【子どもチャレンジ】でしたが、5年生になって段々と日本語を読むことも理解することも難しくなってきていたのもあり、日本語での勉強は娘の希望もあり、やめました。
そして、「ドイツの大学入学・卒業」を目指して、ここから一気にドイツ語力を伸ばして、遅れをとった各教科の理解力・応用力を伸ばしていかねば、と思ったわけです。(実は他にも理由はありますがまたの機会にします)
※シュタイナー学校から大学へ行く生徒は一定数います。それには、本人の性格と家庭教育が大きく影響すると思います。(ドイツでも日本と同様、大学へ行く道以外にも進学の道はありますので、誤解のないようにお願いします)
日本語のひらがな・カタカナはかろうじてまだ書ける。
すでに、一年に数回しか日本語を書くことをしない娘。
本人が日本語補習校に通うことに全く興味がなかったため、日本語力はほとんど伸びずに今に至ります。
ただ、日本に5年住んでいた間に小学校2年生までは通ったので、かろうじて「ひらがな・カタカナ」を書くことはできます。
なので、簡単な季節のあいさつや、自分の近況報告を書くことができます。
日本語をペラっと話せる外国人が、「おお!日本語も書けるの!?」というレベル、と言えば伝わるでしょうか。
それでも日本にいる家族や親せきは、娘がまだ日本語で文字を書いて手紙を送ってきてくれることが、嬉しいはず。(言われたことないけど)
すでに、高校生の日本のお友だちとはLINEの交換をして、漢字や絵文字や可愛いスタンプが混ざった、日本のティーンの会話をたまーにですが楽しんでいます。漢字が読めないので、いちいち聞いてきますが。笑
日本語は楽しく学ぶことが一番!
海外に住んでいると、子どもの「日本語教育」って、大きなテーマだと思います。
「自分の子どもとは、いくつになっても日本語で会話をしたい。」
「できれば、日本語の読み書きもできるようになってほしい。」
「欲を言うなら、大人になるまで日本語教育を続けてもらって、日本に関わる仕事に就いてもらいたい。」
各ご家庭で、子どもへの夢や思いはありますよね。
完璧なバイリンガルなお子さんたちにお会いすると、大体日本人のお母さんが何年もずっと、辛抱強くきちんと日本語を教えている印象です。そして、お子さんの性格によっては、日本語の勉強が「楽しい!」って言うお子さんもいますよね。
「楽しい!」と思えるのなら、それはスポンジが水を吸うように、みるみると日本語力が上達するでしょう。
我が家の娘の場合は、「ドイツ語」の方が居心地が良くなり、夢も頭の中もドイツ語または英語脳になっています。
ただ、家庭内では15年間ずっと日本語会話です。
私が続けてきたことがあるとするなら、強いて言えば、そのうち12年間は毎晩日本語の本の読み聞かせをしていたくらいです。
これは親子のスキンシップにもなるおやすみ前の儀式のようで、楽しい日課でした。
そのおかげか?
娘は耳で日本語を聞くことは問題ないので、今も娘と一緒の時は日本語で面白い会話を心置きなくすることができ、2人でゲラゲラ笑うことも多々あります。
まとめ
ということで、私が日本語教育をやめた理由は、ひとえに「娘がドイツの大学卒業を目指したから」です。
器用なお子さんや、ママさんパパさんに日本語教育を進める経済的・時間的・精神的ゆとりがあれば、親の方も楽しく教えられるのではないかなと思います。
我が家の場合は、シンママ家庭というのもありますが、ドイツ生活をしていく上で、日常的な雑務や仕事が多すぎるので、難しい。
でも、まぁいいか。
娘がなりたいように、娘が育ちたいように、ママはサポートするだけだ、と開き直っています。
そんな娘は最近、
「ねぇママ。わたし、Abi(Abitur/大学入学試験)で日本語とろうと思うんだよね」と。
親としては嬉しいです。涙
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