私たちが2度目の移住をした約8年前。
当時7歳だった娘は、日本では小学校2年生の初夏まで通っていました。
ただ、ドイツ語力はゼロ状態。
私のドイツ語は、1度目の移住時に中途半端で終わって、A1(超初級)レベルのまま。
時計の読み方、数字の読み方、挨拶、超簡単な会話程度のものでした。
【目次】
初めて通ったドイツの幼稚園。
そんな孫娘(と私)のことを思って、ドイツの娘の祖母(元義母)は、娘(たち?)の耳をドイツ語に慣らすためと、ドイツの子どもたちのいる環境に慣れるためにと、親戚が園長先生をしていたシュタイナー幼稚園へ、小学校が始まるまでの2か月ばかりの間、通わせてもらえないか交渉してくれました。
自分よりも1-2歳年下のドイツの子どもたちが通う幼稚園。
日本の保育園で一緒だったどの子どもたちとも、まったく違う容姿・言葉・風習を持つ子どもたちばかりでした。
でも、娘の大叔母でもある園長先生が、事前にクラスの子どもたちに話をしてくれていました。
「明日から、日本という国から女の子が来るのよ。
彼女は、ドイツ語を話すことができないから、皆で助けてあげましょうね」
後から聞いた話で、そんな会話を子どもたちとしたそうです。
最初の2週間、娘の慣らし保育のために、私も一緒に園での時間を過ごすように言われていました。
娘も私もドイツ語がほとんど分からないので、様子を見ながら黙って座って過ごしたのを覚えています。
そのうち、女の子たちが娘の手をひいて、おままごとの仲間に入れてくれるようになりました。
日本では小学校2年生だった娘には、おままごと遊びは幼すぎたようで、妹たちと遊んでいるような感じだったそうです。
数日たつと、女の子たちはドイツ語を話さない娘との遊びがつまらなくなり、娘もおままごと遊びがつまらなくなってしまいました。
ドイツの幼稚園で出会った優しいママさんが印象に残った。
当時、クラスにとてもやんちゃな男の子がいました。
綺麗に切り揃えられた金髪に、鋭い眼差しの青目。
いつも長袖のポロシャツに、きちんとしたズボンをはいていました。
彼は、朝の会までの遊び時間に、手編みフォーク(Strickgabel)を使って指編みをしていることがありました。
手先が器用な娘はその指編みが気になり、男の子は先生に促されて娘に教えてくれました。
半分面倒くさそうにしていたものの、彼なりに教えてくれました。
ただ、2週間が経過する頃になっても、娘は一言もドイツ語を話すことはしませんでした。
(そして、私もあれこれ口出しをすることなく、ただ黙って娘のそばにいただけでした)
帰りの会の時間の先生の語り聞かせが終わり、帰りの支度をしていると
そのやんちゃな男の子のママがお迎えに来て、帰りの支度が一緒になりました。
そのママさんは、はつらつとした明るく賢そうな女性でした。
「あら!新しく入った子ね?!ドイツ語がまだ話せないって言っていたわね?」
と言いながら、軽く挨拶を済ませると
私たちにドイツ語が通じているかどうか気にせず、やんちゃな息子君に語りかけるように、
「そうしたら、どうやって助けてあげられるかしらね。
んー、(両)耳に手を当てて”これがOhrenだよ”とか、鼻に手を当てて”これがNaseだよ”って教えてあげましょうね」
と、息子君にジェスチャーを見せつつ、私たちを気遣いながら話をしてくれていたことに、じーんと胸が温かくなったのを覚えています。
息子君は、クラスでは先生からたまに部屋の外へ出されたりするほどのやんちゃな男の子だったのですが、
ママの前では、恥ずかしそうにニコニコしながら小さな声で「Ja(うん)」と言っていました。
当時、まだドイツに移住して1カ月も経過していない頃だったのですが、
クラスに来る新しい外国人の子が「ドイツ語を話せない」という情報をもらったとき
どの親がどういった反応をするのかを、毎日見ることができて、面白かったのを思い出します。
こういう時に、その人の「本性」みたいなものが見えるのですよね。
子育てに忙殺されているピリピリしている人は「丸無視」だし
英語が話せる外国籍の人は、笑顔でフォローしてくれる人もいました。
ドイツ人家庭でもラフに話をしてくれる方もいましたが、大抵の方は挨拶だけでした。
初めて出会うドイツの貴族。一線を画すその品性と教養に圧倒された。
その後。
2か月だけ通った幼稚園の卒園パーティで、このやんちゃ息子君のママとパパにもお会いしました。
ものすごく丁寧な方たちで、保護者全員と「お世話になりました。ありがとうございました」と握手をしながら、挨拶まわりをしていました。(もしかしたら、やんちゃ息子が皆さまにご迷惑をおかけしました、という思いもあったのかもしれないけど)
私がまだドイツ語が少ししか話せないと分かると、すぐに流暢な英語に切り替えてくれました。
そばには、もじもじしながら息子君もいたのですが、パパが英語で息子君に話しかけたら、流暢に英語で答えていて驚きました。
当時、日本から来た何となく場違いな感じの私たち親子にも、ちゃんと目を見て、握手しながら笑顔で挨拶をしてくれました。
その時、アウェイ感が半端なかったのですが、私を「一人の人」として扱ってくれたことに、すごく嬉しい気持ちになったのを覚えています。
あまりにも他のドイツ人や外国人家庭とは一線を画す雰囲気なので、後で園長先生に聞いてみたら、大昔から続く先祖代々有名な貴族(王族)階級のご夫婦でした。
ヨーロッパの貴族の方々は、それまでの自分の人生では一ミリも関わることがなかったので、カルチャーショックを受けました。
何と言うか、重厚感のある尊厳そのもの、または人格者というのでしょうか、言葉では言い表せないような品性・知性・教養の高さを感じました。(イメージでいうと、イギリスのウィリアム王子とキャサリン妃のような感じ)
余談ですが、ミュンヘンの街中でたまに見かける、ギラギラの金持ちとは全く違う雰囲気を醸し出していたのです。
そして私が貴族夫婦から学んだこととは?
子育てでも自分育てでも、学問としての教育はある程度は必要です。
ですが、こういった「人としての教育」つまり「教養」について、ドイツに来て初めて深く考えさせられた出来事でした。
特に、多民族・異文化が日常的にある中で、自分がドイツに住む外国人として、他者に対してどういう身の振り方をするか、ということまで考えさせられました。
出会う相手がどういったバックグランドを持っているかに関係なく、
「相手を一人の人として尊重する」
「子どもを通して関わった人たちに、きちんと挨拶をする」など
良い人間関係を築く上で重要なことなのは分かっていましたが、ここまでまっすぐに、品性と知性、教養を兼ね備えた人格者が行うと、いつまでも人の心に残るんだなと、しみじみと思います。
この経験は、今でも私の中で消えることのない、子育てをする上で大切なひとつになっています。
最後に。
今でもたまに思うのですよね。
もし
- 誰かに理不尽なことをされた時
- 子どもの友だちのママさんにムカついた時
- 学校で自分の子どもが誰かをイジメた時、誰かにイジメられた時、そしてそれを目撃してしまった時
- 先生の教え方に納得がいかない時 など
があったとき、貴族夫婦の彼らだったら、どんな風に対応するのかな、と。
凡人の私は、凡人なりに悩み、今なお日々試行錯誤し、邁進(まいしん)するよう努力していますが
彼らのような、飛びぬけた品性・知性・教養を身に着けるには、一生かかるかもしれませんね。